これから会うあなたによろしく。

 

この人は本当に綺麗だって思った。多分これは意識的に思ったんじゃなくて、本能――。思った俺自身も気づかなくて、綺麗だって思った瞬
 
間、ああ、そうだって納得してしまったほど…。
 
 
 
「おい、一年坊主。」
 
背後から声を掛けられる。吉良と俺は二人同時に振り向いた。
 
「ひひ檜佐木先輩!?」
 
「あんたは…。」
 
吉良の声が裏返る。俺はあぁ、そうだ、檜佐木先輩だと吉良のセリフで思い出した。その檜佐木先輩はニッと笑ってこっちの方までやって来
 
た。
 
「もう傷とかは大丈夫か?」
 
「はい、大丈夫です。」
 
あの事件から二月たった今、俺たちの体には傷なんて一つも残っていなかった。しかし、この人の体には…。
 
「檜佐木先輩こそ…包帯が…。」
 
吉良が遠慮がちに言った。檜佐木先輩は苦笑しながら、顔の右半分を覆っている包帯を指差した。
 
「これ?大丈夫だよ。それにもう抜糸するからな、とれんだよ、これ。」
 
「ばっし…。」
 
吉良は消え入りそうな声で呟き、今にも倒れそうな顔をしている。
 
「お前らにまで危害与えて、ごめんな?」
 
そう言って笑う姿はとても儚げで、触れたら崩れてしまいそうな表情をしていたんだ…。
 
この時、今まで喉の奥に突っかかっていたものがとれたような気がした。
 
    そう、俺が今まで何かしら気にしていたのはこの人のことだったんだ…。
 
 
 
「お疲れぇ。」
 
「お疲れ。」
 
実習が終わり、俺はポタポタ落ちる汗を手で拭って水を飲むため、蛇口をひねろうとした。
 
「お疲れサン。一年坊。」
 
人影が急に出てきて、俺にかぶさる。俺はこの声の主があの人だと思って、顔を上げる。
 
「檜佐木先輩。」
 
ちょうど太陽を背にして、俺を見ているため俺は先輩の顔が陰ってよくは見えなかったが、笑っていることだけはわかった。
 
「大変だなぁ、一年坊は。」
 
ニヤニヤ笑いながら袴の裾で俺の汗を拭う。俺はその行動に驚いて、一瞬怯んだ。怯んでしまった自分が恥ずかしくて、俺は少しムキにな
 
って言った。
 
「一年坊って…俺にもちゃんと名前あンすけど…。」
 
「…俺、お前の名前知らねぇわ。」
 
きょとん、とした顔で言われて力が抜ける。そう言えば、俺自身もこの人に名前を言っていないことを思い出す。
 
「俺は阿散井恋次っす。この前、一緒にいたやつが吉良で実習ンときいた女が雛森。」
 
「ふぅん、サンキューな。」
 
今度は少しずれて俺に笑いかけたためはっきりとこの人の顔が見れた。キラキラと太陽みたいに笑う人だ、って今度は思った。
 
「お前、ここに来たからには狙うは護廷十三隊だろ?」
 
「ッス。ていうか…俺はそこより、そん中にいる人しか興味ないっす。」
 
「人?何、憧れの人とかいんの?」
 
俺は思い出すように話した。あの、ルキアを連れていったあの男のことを―――。
 
「へぇ、憧れじゃなくて本気で倒してぇんだ…。」
 
瞼を軽く伏せながらまるで、どこか遠くを見ているかのようだった。この時、俺は初めて包帯がないことに気付く。さらされた右目の傷をじっ
 
と、見入ってしまった。
 
「先輩…傷…」
 
その傷に触れてみたい、そう突発的に思ってしまった。
 
「…あっ…」
 
気付くと俺はその傷に手を伸ばそうとしていた。しかし、この人のが体全身で強張る。
 
「すいません…。」
 
「悪ぃ…ちょっと触られんのは…怖ぇ…」
 
右目に手をあてて、体全身で拒否しているのがわかる。その姿を見ると、俺はますます儚げで脆そうな人だと思った。まるで、手を触れては
 
いけない彫刻のようだと…。
 
「まだ…決まった人にしか触られんの慣れてねぇんだ…」
 
その中に入りたいと、あんたに許される人になりたいとこの時思ったのは、その時の俺にはまだ分からなかった…。
 
 
 
実習後、二人きりで会った以来、俺達はちょくちょく会って話をしていた。話すと言ってもそれは他愛のない話で、授業がどうだとか、昼飯が
 
どうだ、とかそんな話ばかり。あの時、拒まれて以来、俺は一切傷についての話は出さなかった。それでよかった。俺はあの人の顔を見るだ
 
けで安心していた。その安心が崩れたのは、そう長い先のことではなかった。
 
 
 
校舎の離れの方で見慣れた姿を見掛ける。少し長めの黒髪に細い腰、背筋を伸ばして歩くその人は右目に傷を負い、あの綺麗に笑うあの
 
人だ。
 
「檜佐木先輩…」
 
こんな処に何の用だと思い、俺は思わず後を着けた。気配でばれないようにゆっくり歩いて行く。すると、あの人は突き当りにある部屋のドア
 
をノックする。すぐに、その扉は開けられ、その中へ入っていった。俺はあの人が入っていったことで、緊張の糸が切れたのか壁に寄りかか
 
り、一息つく。そのまますぐにその場を離れればいいのだが、何故か離れることができない。自分でも分からないくらいあの人のことが気に
 
なっている。今までこんなことなかったはずだ。そう思いながら、再び、あの扉が開くのを待っていた。しばらくして、ギィという音とともに扉が
 
開く。
 
「あ…。」
 
部屋から出てきたのはあの人、そしてもう一人―――。額に三本の角があり、目つきの悪い死神。
 
「誰だ…」
 
もう少し、相手の顔を見ようと壁から顔をのぞかせる。あの人の軽快な笑い声。そして…その男の手はゆっくりとあの人の右目にある傷へ移
 
動した。あの人は、俺が触れようとした時の態度とは全く正反対の…無防備な態度で…安心した表情で触らせていた。その光景が目に入っ
 
た瞬間、俺の奥底にある何かが、黒くてドロドロして渦巻いているのを感じた。この時、それが“嫉妬”という感情であること、何故、こんなにも
 
あの人を気に掛けていたのかということ、そのすべてを理解した。
 
 ああ、俺はあの人のことが好きなんだ――、気付かないうちにあの人にハマっていたんだ――――。俺はいつか、アンタの許せる人にな
 
   れますか?

 

                                                                   

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