それが恋だと気付いてから俺は、気がつけばいつもあの人のことばかり考えていた。それはもう、吉良が呆れてしまうくらい。
「…それで、…はぁ、阿散井くん聞いてる?」
「ん?あぁ、聞いてる。」
「じゃあ、僕が何について話していたか言ってみてよ。」
「…と…」
何も言えずにいると、吉良が一つ大きな溜息をつく。
「阿散井くん、はっきり言って最近変だよ?いつもどこか上の空だし。」
それは多分、あの人のことばかり考えているから。俺は少々、罪悪感を感じながら吉良のほうを改めて見る。隣で呆れている吉良も奇麗な
青立ちをしていると思う。肌も白く、まつ毛も長い。なのに何故だろう…あの人と全く違うのは…。吉良を傍にしていても動揺することも体に触
れたいと思うことも全く出てこない。なのに何故、あの人を目の前にするとあんなにも触れたいと、傷や体に触れたいと思うのだろう…。今ま
で、人を好きになってもそんな感情など一切出てこなかった。しかし、今は欲望だらけ。あの人に対する思い全てが欲望の塊だと言っていい
位。こんな思いは初めてだ…。
「…。」
そんなことを考えていた俺は吉良が心配そうにこっちを見ていることなど全く気付かなかった。
「阿散井くん…ちょっといい?」
授業終了後、吉良に突然、呼び止められた。
「何だよ?」
俺は吉良の方へ駆け寄り、話を聞く。吉良はここじゃあ…と言って俺を人気のない所へ連れていった。
「吉良、何だよ?」
俺は少々、苛立ちながら吉良へ訊ねた。すると、吉良は真剣な顔で口を開いた。
「阿散井くん、最近何かあった?」
「…え…?」
そんなことを聞かれると思っていなかった俺は一瞬とまどう。まさか…と思った。
「なんか、心此処にあらずって感じがするよ?」
しかし、俺があの人について考えていることがバレたわけではなくて、ただ、最近の俺が吉良の話などを適当にしか聞いていなかったことに
ついてだった。
「あ~…」
俺は適当にごまかしてしまおうか、それとも相談してみようかと悩む。だが、ちらと吉良の表情をみると、こめかみに皺を寄せ、不安そうな顔
をしている。
「…あのさ…」
俺は躊躇いながら、あの人のことについて話した。何か引っかかると思ったら、あの人だったこと、あの人の傷に触れたいと思うこと、そし
て…好きだ、ということに気付いてしまったこと…。
話し終わって吉良の顔を見ると、なぜか安心したような表情をしていた。
「珍しいね、君がそんな顔をするなんて。どうしたのかと思って心配したけど、よかった。さっきの話のことだけど、本気みたいだね。しかも相
手のことをちゃんとよく考えてる。ほら、阿散井くんて昔から自分が考えたことが相手も同じ事考えてるっていう感じだったから。」
「吉良…。」
「よかったね、阿散井くん。」
吉良はいつも俺の欲しかった言葉をくれる。ここ数日間、迷惑を掛けていたのは俺の方なはずなのに吉良にはそんなことを感じさせる態度
は微塵もなくなっていた。
俺があんたより強かったら、あんたを守れるくらい強かったら、あんたはあんな傷を負わなくて済んだんだ。あんたの綺麗なその顔に引かれ
た三本の痛々しい傷跡はあんただけじゃなくて、俺さえもを戒める――――。
わかんねぇ、どうすればいいのか。何でこんなにもあの人があの死神といる所を見ただけで、こんなにもイライラしてくるのか。俺はあんた
の名前さえ呼ぶことができないのに、どうしてアイツはあんなにもいとも容易くあの人の傷に触れることができる――?
「あ――!!っくそっ!」
ここ最近、吉良が顔を歪めてしまうほど俺はイライラしている。自分でも分かっている。しかし、それの原因が何なのかは未だに分からな
い。それが更に俺の怒りを大きくさせる。これじゃあ悪循環だ。舌打ちをしながら廊下を歩く。すると向こうから見慣れた人がやって来る。こん
な状態じゃ会ってはダメだ、と分かってはいるが、でも嬉しいのである。
「先輩。」
俺が声を掛けるとあの人はこっちの方を向いて笑顔で口を開く。その瞬間、ガシャーンッというガラスが割れる音と共に、あの人がいた場所
の窓ガラスが割れた。
「先輩っ!!!!」
俺は驚いてすぐさまあの人の傍に駆け寄る。あの人は反射的に身体を小さくさせ、下の方で蹲ったため大きな傷はなさそうだ。
「先輩!!」
あの人の辺りを見渡すとボールが一つ、コロコロと転がっていた。俺はあの人の腕を自分の肩に回し、顔を覗き込む。
「大丈夫っすか?」
「ああ…。」
この人は苦笑の笑みを浮かべて俺の方を見る。その表情で安心した、とその時、つぅ…とこの人の白い滑らかな肌をした頬から赤い液体が
流れる。
「あ…。」
「ここ、大丈夫っすか!?」
俺はその赤いものが“血”だと分かった瞬間、その右頬に手が伸びた。これは本当に無意識の行動―――忘れていたわけじゃない。ただ心
配だったんだ…。この人の綺麗な顔に価値もない下らない傷がついてしまうことが…。
「…やっ…!!」
まるで体の奥から絞り出したかのような、か細い声が聞こえる。そして、次にこの人の頬に触れようとした俺の左手がはたかれた。はたかれ
た痛みを感じた瞬間、この人の頬に手を伸ばしたことに気付く。
「…あ…。」
あの死神には簡単に触れさせるのに、俺にはその小さな傷に触れることすら許してはくれないんだね。ねえ、俺は今、どんな顔をしているの
―――?あんたがそんなに怯えた顔をするなんて―――。
「ごっめ…阿散…っ…んっ!?」
気付いた時はもう遅く、この人のした行動にキレた俺はこの人の胸ぐらを掴んで…そして…無理矢理キスしてた。
「…んんっ!!」
暴れないように、逃げ出さないように腰に回した手に力を入れる。唇も深く深く重ねる。離れられないように。もうあの死神の所になんか行か
せないように。
息をしようとそっと口を開けた隙に下を忍び込ませる。その心地よさに浸っていた。だから気付かなかった、この人の右手が俺の頬めがけて
きてることを。角度を変えようと首を動かしたとともに俺の左頬にこの人の右手がキレイに入った。
「っがはっ!!!」
「…!!!!」
口の中が一気に鉄臭くなる。きっとどこか切れたのだろう。俺は殴られ、その反動で廊下に尻もちをつく。幸い、この廊下は人があまり利用し
ないため、今も俺達二人しかいなかった。
「せん…」
痛む口を開くとすぐ、あの人はあの鋭い瞳を大きく開けて、まるで憎んでいるかのような顔でこっちを見た後、向こうの方へ走って行った。
「…何やってんだ…。」
その時の俺にはあの人の目に涙が浮かんでいて、俺の頬を殴った手が震えていたことには全く気付かないで、追いかけることもせず、ただ
ただ、自分のしてしまった過ちを悔むだけしかできなかった。
あんたがどうしようもないくらい好きなんだ。憧れなんかじゃない。あんたにとって俺はきっとただの後輩、じゃあ、あの死神はあんたにとって
何?俺が触れることのできない傷跡をどうしてそう簡単に触れさせる?俺が触れてしまったらあんたは泣いてしまう?俺はあんたを泣かせたい
なんてこれっぽっちも思っていない。思うことはただ一つ。あんたのその綺麗な笑顔が見たいだけ。
続く
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