あれは口付けではない。ただ、触れただけ。けれども確実に相手の体温は触れたところから体に広がっていった。まるで口付けをしたような、口付けに近いこと…。
「阿散井…。お前…。」
数十年前より背がいくらか伸びただろうか―――?あの時はたしか、俺と同じか低かったはずだ。今はもうきっと…俺より高いはずだ。
俺の知っている後輩はいくらか背が伸び、ガタイもよくなっていた。
「先輩お久しぶりっす!」
にかっと笑う姿は昔と変わらない。しかし、俺の中の阿散井恋次という男は学院時代で記憶が止まっている。目の前にいる阿散井恋次と名乗る男は俺の中にいる同一人物とはどこもかしこも変わっているような気がした。
そう言えば、吉良が言っていたような気がする。阿散井達が入ってくる前、吉良たちがちょうどこの護廷十三隊に死神として入って来た時。なぜ、阿散井がそこにいなかったのか。確か…
「現世に派遣か…。」
なぜ忘れていたのだろうか。いや、忘れてはいなかった。忘れるはずなんてなかった。
「浮かねぇ顔してどうしたんだよ。」
煙草を吹かし、悪い顔をしながらこちらを見てくる。
「別に何でもありませんよ。はい、これ、書類です。」
その目線にわざと気付かない振りをしながら机の上に紙束を置く。さっさと帰ろうとしようとすると阿近さんは俺の腕を掴み、顔を近づけさせる。
「っ!」
「目、どんな感じだ?」
至近距離で瞳を覗きこまれた。いつもなら平気なこの行為が今はとても辛い。
…見透かされている気分になる…
「っ平気ですよ…」
「ならいいんだけどな。」
そう言って阿近さんは俺の腕を放し、煙を吐き出してクックッと喉の奥で鳴く。まるで新しい玩具を与えられたように楽しそうである。
…悪趣味…
「それじゃあ、失礼します。」
動揺を隠しながら俺は技術開発局の扉を閉めた。
「檜佐木さん?」
廊下を歩いていると向こうから声を掛けられた。声に聞き覚えがあり、顔を上げるとそこには赤い髪を一つに束ねたあの男がいた。
「阿散井…。」
何というタイミングであろうか。前もこんなことがあったような気がした。しかし、その記憶を俺はわざと思い出させないようにする。
「どうかしたンすか?あれ、こっちの方向って…」
阿散井が廊下の向こう側を見る。その先には一つしか部屋がない。
「…技術開発局…」
阿散井の声のトーンが一段階下がる。嫌な予感がした。
「まだあの人にお世話になってンすか?もう目治ったのに。」
だんだんトーンが優しくなった、と思った時、目の前に手が伸びてきた。
「っ!?」
阿散井の左手が俺の右目にある傷に触れた。俺は驚いて思わず、後ずさりしてしまう。
…昔はあんなに震えながら傷に触れていたのに…
あまりにも自然に触れたその行為に動揺を隠せない。
この動揺はいきなり傷に触れられたから…?
そうでありたいと願いながら俺は浮かび上がってくる違う動揺の理由を無理矢理押し殺す。
「あ…いろいろあンだよ…目治してもらってそれで終わり、なんてできねぇだろ…。」
「ふぅん。」
口ではそう言っても目が納得いかないと物語っている。しかし本当のことだ。同じ護廷十三隊で働く者同士、お互いに何もなくても付き合いというものは大切にしていかなければならない。
「阿散井…隊舎戻らなきゃ怒られるんじゃねぇの?」
顔を上げて、ゆっくりと阿散井の顔を見る。その顔にある大きな刺青―――。
「…お前、刺青…」
眉から繋がり、おでこの方にまである大きな刺青に俺は眼を奪われた。
「今、気付いたンすか?これ、死神になる前に入れたンすよ。決意、みたいなもンすかね?」
本当に俺の記憶の中にいる男とは違っていることが分かってしまった。でも何で俺はこんなに衝撃を受けている?成長していると考えればいい。でも、考えることが出来ない。
「ねぇ、檜佐木さん。」
気付くと阿散井は俺の目の前にいた。先程の俺達の距離よりぐっと近くなる。
「俺、言ったよね?」
なにを。
「あんたと同じとこに立ったら…」
立ったら…
「あんたを俺のものにするって。」
言われた言葉を頭で理解しようとする前に、違うところに新しい感覚が生まれる。
触れたところからは生温かい体温を感じた。じわりじわりとそこを出発点に体温が伝わってくる。目の前の男は少し前かがみになって顔を近づけている。そこでようやく俺の頭が何をされたか理解する。
――感じるのは生温かく、柔らかく、そして、懐かしいあの感覚…ああ、そうか、これはお前とする
二度目の接吻――――――。
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